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鉄路の彼方へ

鉄路の彼方へ

初冬の旅路〈2〉

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昭和・平成・そして
昭和・平成・そして 《平成24年12月上旬》
大井川鐵道:抜里駅

昭和から平成への改元時
青春時代の思い出いっぱい
懐かしの日々も足早に
記憶の中の風景と消え
そして再び新たな時代へ



石畳の坂道
石畳の坂道 《平成28年12月上旬》
豊橋鉄道:前畑〜東田坂上

数年振りに訪れた石畳の坂道を望む歩道橋
ここは目の前の小学校への通学路
土曜日にもかかわらず登校する子供たち
以前と変わらず挨拶を交わす視線の先の
古民家は雨戸が開かれることはなかった



半径11m
半径11m 《平成28年12月上旬》
豊橋鉄道:井原

日本全国路面電車斜陽の時代に
僅かひと区間ながら珍しく新規延伸された
井原電停の運動公園前に至る分岐交差点
通称「R11.」は半径11m
そのきつさは鉄道模型並み



国道一号
国道一号 《平成28年12月中旬》
豊橋鉄道:札木〜市役所前

一時期路面電車は邪魔者扱い
先見の明を持たぬ為政者によって
記憶の彼方へ葬り去られた
国道一号に残るはここだけ
地下鉄よりも便利だけれど (続く)



黄色の灯火の矢印
黄色の灯火の矢印 《平成28年12月中旬》
豊橋鉄道:札木〜市役所前

路面電車が今も活躍する町の
地元の人なら至極日常風景
黄色の灯火の矢印信号は
今や貴重な絶滅危惧種
運転免許持ってる人ならわかるでしょ!



国道一号
国道一号 《平成28年12月上旬》
豊橋鉄道:豊橋公園前〜東八町

(続き) 次も目指す政治屋さんは
カネを落とす箱モノにこだわる
結果庶民は上へ下へと階段と格闘
年を取るとくたびれる日本の都市
そしたら「バリアフリー」に目を付けた



EINE FÜHRERIN
EINE FÜHRERIN 《平成28年12月中旬》
豊橋鉄道:新川〜札木

富士の写真を撮っていたもう随分と昔のこと
撮影地で新幹線の元運転手さんとお会いした
大卒事務系でJR東海に入社したものの
無理やり運転手にさせられたとか
お嬢さんは自身の意志なのかな?



おでんしゃ
おでんしゃ 《平成28年12月上旬》
豊橋鉄道:駅前停留所

豊橋鉄道の走る居酒屋
年末恒例のおでんしゃも
今年で十年大盛況
赤提灯の暖簾くぐって
今夜も満員出発進行!



おでんしゃ
おでんしゃ 《平成26年12月上旬》
豊橋鉄道:運動公園前停留所

実際に乗ってみたことはないのだけれど
こっそり覗けばおでん以外にもお寿司とお酒
なかなか豪華な組み合わせ
賑やかな雰囲気が好みの方には
一年納に楽しい思い出如何ですか?



Adventsführerin
Adventsführerin 《平成26年12月上旬》
豊橋鉄道:駅前大通〜新川

年の瀬を迎える大通り
この冬一の寒波襲来
道行く人も家路を急ぎ
街が静まり返る頃
なお淡々と夢運ぶ人



ふるさとの駅
ふるさとの駅 《平成26年12月上旬》
名古屋鉄道:東幡豆駅

海へ山へ 行楽客を迎えたふるさとの駅
鉄道会社の期待の線路は
今では存続の瀬戸際へ
主を失った小さな駅に
残るはささやかな巡回業務



再開発
再開発 《平成28年12月中旬》
ユニチカ豊橋事業所専用線跡

昭和の時代は各地の私鉄も
結構貨物輸送が盛んだった
国鉄の合理化であおりを食らい
JR移行後はネットワークすら危うい
これはやっぱり分割方法の失敗例だ



カラフルトレイン
カラフルトレイン 《平成28年12月中旬》
豊橋鉄道:高師(車両区)

渥美半島カラフルトレインは
花々をデザインした十色のカラフルな電車
中でもシックな1802号はお気に入り
モチーフの「はまぼう」の自生北限
堀切は渥美線が目指した目的の地



高師緑地
高師緑地 《平成28年12月中旬》
豊橋鉄道:南栄〜高師

南栄駅を出た渥美線は
緑深い森を潜り抜ける
樹齢八十年以上の黒松は
旧帝国陸軍の置き土産
今は市民憩いの緑地公園



戦争の傷跡
再編集 戦争の傷跡 《平成28年12月中旬》
豊橋鉄道:南栄〜高師

日独伊三国同盟締結で
石油禁輸の憂き目にあい
国民動員で頼ったのは
到底無謀な強がり施策
これも言わば戦争の傷跡

季節の一枚 ページ



陸軍兵器支廠正門哨舎
陸軍兵器支廠正門哨舎 《平成28年12月中旬》
豊橋鉄道:愛知大学前〜南栄

・・・ ここで兵隊が銃剣を持って人の出入りを監視していました。
見張り番は厳格で「誰何三唱、返答なきは射殺可」
(お前は誰かと、三度聞いて返答のないときは射殺してもよい)
との話しが残っているほどです。 ・・・
栄校区まちづくりを考える会 現地掲示板より抜粋



二俣線の残像
二俣線の残像 《平成28年12月中旬》
東海道本線:新所原〜二川

新所原駅の西側に残る二俣線の連絡橋
国鉄から天竜浜名湖鉄道への移管以来
いきさつは知らないけれど直通列車は廃止
改札は別々 乗り継ぎ客は移動が増えた
経済役人主導の机上改革は実情に無頓着



二俣線の残像
再編集 二俣線の残像 《平成28年12月上旬》
天竜浜名湖鉄道:尾奈〜知波田

運営主体の変更に際して
大幅増発・駅も新設
四半世紀の時代の流れで
街並はそれなりに変わったけれど
浜名湖と蜜柑畑の車窓は健在



新居今昔物語
新居今昔物語 《平成28年12月上旬》
東海道本線:新居町〜鷲津

東海道は海の道
その一つがここ舞坂と新居の渡し
江戸時代の浮世絵は
帆掛け船が列を成し
当時の関跡だけ今も残る



浜名湖のり
浜名湖のり 《平成28年12月上旬》
東海道新幹線:浜松〜豊橋

昭和の学生時代の知識では
浜名湖といえばウナギでした
時は移ろいかつての養鰻場は
ほとんど埋められ太陽光発電所
けれど海苔の養殖はまだまだ元気



輝く時間
輝く時間 《平成24年12月中旬》
東海道本線:浜松

西高東低
低い日差し
無機質な都会に
陰影の悪戯
街が輝く時間(とき)

季節の一枚 ページ



天竜川橋梁
天竜川橋梁 《平成27年12月中旬》
東海道本線:豊田町〜天竜川

大正元年アメリカンブリッジ製
元をたどれば現在の上り線に
複線化の為増築された曲弦プラットトラス
天竜河口域の広い河原を
十九連ねた姿は壮観



富士と共に
富士と共に 《平成27年12月中旬》
富士急行:上大月〜田野倉

海側で育った人間にとって
富士山は静岡のイメージ
けれども山側にまわってみると
より一層この霊峰と共に
暮らしてきた歴史感じる存在感

名山の旅 付録ページ 大月市・菊花山眺望



新桂川橋梁
新桂川橋梁 《平成27年12月中旬》
中央本線:鳥沢〜猿橋

塩尻方の丘の直上は
未だ開発の手の及ばない
昔ながらの長閑な集落
見下ろす汽車は昭和色
谷に響く轟音も今では町の子守歌

季節の一枚 ページ



オリオン輝く
オリオン輝く 《平成27年12月中旬》
中央本線:鳥沢〜猿橋

冬の夜空を見上げる時
必ず探すオリオン座
この日は天高く半月輝く
絶好の観察日和ではないはずも
大星雲まで目視できる美しい町



収穫
収穫 《平成28年12月下旬》
豊橋鉄道:大清水〜老津

渥美は三河湾と太平洋に挟まれて
細長く突き出た丘陵地
故に元来水に乏しく
昔の人は苦労した
現代は用水が完備され一大農産地



ダイレクトコントローラー
ダイレクトコントローラー 《平成28年12月下旬》
サンテパルクたはら

直接制御器と言うらしい
運転手さんがガチャガチャ回して
電車の速度を調節する装置
最前席でよく見た記憶も詳しい仕組みはいまいち不明
どうも電気にはめっぽう弱い・・・



弐拾世紀的前照灯
弐拾世紀的前照灯 《平成28年12月下旬》
サンテパルクたはら

夢の地で余生を過ごす豊橋鉄道デワ11
彼は大正生まれの木造電車
十九世紀は石油ランプだった前照灯も
この時代には大きなレンズの電気式
照らす未来は輝いていた



デキ211
デキ211 《平成28年12月下旬》
サンテパルクたはら

幼少の頃の名鉄電車は
深緑色 薄水色 そして
卵色に赤帯なんてのもあった
その後全てが赤色になって
懐かしの思い出蘇る



懐かしの車票
懐かしの車票 《平成25年12月下旬》
三岐鉄道:丹生川駅(貨物鉄道博物館)

昔の駅の片隅には
たいていぽつんと貨車がいた
汽車を待つひとときに
差し込まれた車票に視線が向かう
まだ見ぬ彼の地へ思いはせた日



昭和の客車
昭和の客車 《平成24年12月下旬》
蒲郡市博物館

木のぬくもりと
陶器でできた洗面台
昭和の時代の合理主義は
経済偏重で肩身が狭い
あの時代が懐かしい・・・



テクノポリス浜松
テクノポリス浜松 《平成24年12月下旬》
遠州鉄道:第一通り

記憶の彼方に残る浜松は
修学旅行の品川行きの急行電車
当時再開発の駅前は 見渡す限りの荒れ野原
ぽつんと残った線路を電車が行ったり来たり
今ではお城も見下ろすテクノポリス



初冬の旅路〈2〉

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